軽率に「わかる」とは言えないし、言いたくないという話

コミュニケーション

こんばんは、かきぴーです。

今日は、少しセンシティブな話題です。

不愉快に思われる方もいるかもしれませんが、あくまでも僕の一意見なので、合わないと思ったらスルーしていただければと思います。

周囲の影響を受けやすいタイプである、という自覚

別の記事でも書いたんですが、僕は非常にビビリで、打たれ弱い人間です。

これは「強靭性」という性格特性が低いことに由来しており、良くも悪くも繊細な人間であるといえます。

繊細であるがゆえに、周囲の感情にも敏感で、相手の気持ちや周囲の空気を察するのは得意でした。(あくまでも自己分析としては)

(まぁ察することはできても適切な対応はできないので、挙動不審になることが多かったんですけどね…。)

以前は、ストレングスファインダーの3位に共感性が入っていましたし、目の前の人間の感情を、自分のもののように感じるタイプだったと思います。

「わかる」の正体は「相手に対する想像」

ですが生きていくなかで、自分が「相手の気持ち」だと思っていたものは 「相手の反応から、自分が想像した相手の気持ち」 でしかないことに気がつきました。

「相手の反応から、相手に対する想像を膨らませる」というのは多分能力なんだと思います。

「わかってほしい」人にとっては、自分の気持ちを理解してくれたように写るかもしれませんし、場合によっては、感謝されたり、喜ばれたりすることもあるでしょう。

「相手に対する想像」ができることで、周りの人に優しくできるかもしれません。

ですが、「『相手に対する想像』は、どこまでいっても想像でしかない」 という視点を失ってしまったら、むしろつながりを断ちかねない欠点になると思います。

「相手に対する想像」は、相手の気持ちとイコールじゃない

「相手に対する想像」は、どこまでいっても想像でしかありません。

相手の言動や、言語化できないほどの些細な反応を元に生まれた幻想であって、それは「相手の気持ち」じゃないです。

たとえその幻想が、たまたま相手の気持ちに近いものだったとしても、それはあくまでも偶然でしかない。

「相手に対する想像」は、決して「相手の気持ち」とイコールではないので、常にズレが生じている可能性 を考慮しないといけません。

もし自分の中にある「相手に対する想像」を 絶対のもの だと信じてしまったらどうなるでしょうか。

たとえば、「相手の気持ち」と「相手に対する想像」にズレがある状況下で、「あなたはこう思っているでしょ。私にはわかっているよ」と言われたら、相手はどう思うでしょうか。

「この人は、自分の話を聞いてくれない」と不信感をいだくかもしれませんし、「理解者面されて不快だ」と敵意を向けるかもしれませんし、「今の自分の感情は、間違っているのかもしれない」と自己嫌悪に陥るかもしれません。

もちろん、全く意に介さないことも、あるかもしれません。

ですが、「相手に対する想像」を絶対のものとして振るえば、周囲とのつながりを断ち切ってしまうことになりかねないと、僕は思います。

なので僕は、軽率に「あなたのことを理解している」なんて言えないし、言いたくないです。

人間は、自分の内側からしか、世界を認識できない

人間は、自分の内側からしか、世界を認識できません。

途端に表現が壮大になりましたが、実際のところ、僕たちは自分の五感というフィルターを通してしか物事を認識できないです。

これを読んでいるあなたと、僕の間でも、様々なことが違うと思います。

同じものをみていても、僕がみている箇所と、あなたがみている箇所は違うでしょう。

もし身長が違えば視線の高さが違うし、視力が異なれば見えてるものの解像度が違うと思います。

性別によって着目する点が違う、なんて話もあります。

物理的な面ですらこんなに違うのに、内面になってくると、もはや同じ人間はいないといって過言ではないでしょう。

人は、ひとりひとりが全く異なるんです。

人はそれぞれ異なっていて、僕たちは自分の内側からしか世界を見れないのに、どうして「相手の気持ちがわかる」なんて言えるでしょうか?

「あくまで想像である」とわかった上で、相手のことを想像する

以上のような理由から、僕は、なるだけ「あなたのこと、わかるよ」とは言わないように気をつけています。

もちろん、「常に完璧にできているか」と言われればできていませんし、戯けてる場面やノリとして面白いと判断すれば口にする瞬間もあるでしょう。

ですが、相手の本心に近い場面や、相手が真摯に自分に向き合ってくれている場面では、「わかる」などと失礼なことは言わないようにしたいです。

そういったことを気をつけた上で、僕が僕の中で膨らませた想像を、相手に問いかけさせてもらうことはあります。

そのときは、あくまでも 「僕は、あなたの話を聞いてこういうことを想像したんだけど、あなたの言いたいことってこれであっていますか?」 という気持ちで、伝えさせてもらいます。

その上で間違っていたなら、相手のみている世界を、相手の口から伺えますし、もし合っていれば、相手の口から補足してもらうことで、相手のみている世界をもっと鮮明に想像することができるでしょう。

僕は、僕自身のこういう繊細な面を、割と好きだったりします。

「相手に対する想像」ができるからこそ、相手の景色を少しだけ覗かせてもらえた気持ちになれる、そういうチャンスがある。

ただこの繊細さも「自分は、人の気持ちを理解できるのだ」と傲慢に思い込んだ瞬間に、どうしようもない欠点に成り下がると思っています。

そうはなりたくないですね。

軽率に「わかる」とは言えないし、言いたくない

というわけで、「わかる」って難しいよねって話でした。

「相手の気持ち」と「相手に対する想像」にズレがあったときにそれに気付く繊細さを持って生きていけたら、と思います。

疲れていたりすると、どうしても雑になってしまうので、まずは自分の生活を整えて、自分に余裕を作ってあげたいですね。

というわけで、今日書きたいことはこのくらいです。

最初に書いた通り、今日書いたことは、あくまでも僕の意見です。

僕の意見に共感できない人もいると思いますし、不愉快に思われる方もいるかもしれません。

もし、不愉快にさせてしまったならごめんなさい。

ですが僕としては、譲れない価値観の1つですので、もし違うと思われたなら、ぜひそっとしておいていただけると嬉しいです。

ではまた。

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