こんにちは、かきぴーです。
昨日に引き続き、今日も「アサーショントレーニング」について書いていこうと思います。
前回の記事はこちらからどうぞ。
アサーションの歴史
アサーションとは、「自他を尊重するコミュニケーション」や「さわやかな自己表現」と呼ばれ、自他共に気持ちよく過ごせるように歩み寄るコミュニケーションです。
アサーションは、アメリカで生まれました。
実は、人権に深く関わりのある考え方で、始まりは1950年に遡るそうです。
ざっくりまとめると以下のような流れになります。
- 1950年、アメリカで生まれる(行動療法の中で対人関係や自己主張で悩む人向けのトレーニング手法として)
- 1960年〜70年、人権運動(女性や黒人への差別撤廃運動)
- 1970年、『あなたの完全な権利』”your perfect right”出版(何度も増刷され、多くの人に読まれる)
恥ずかしながら、人権問題や差別撤廃運動についての知識が浅く、1つ1つの出来事を詳しく説明することができません。 ただ、上記の流れの中で、「自分たちの生きる場所を確保する」という切実な取り組みが、
- 過度に卑屈になりすぎない
- 攻撃的にならず自己主張をする
というアサーティブな姿勢のもと、現実に行われたんだ、というのはとてもインパクトのある事柄に思えました。
僕は歴史に詳しくありませんが、人権が尊重されるようになったのは最近だと認識してます。
僕が生まれるより前の時代に生きていた人たちが、暴力に訴えず、「アサーティブでいても認められ得る権利」を勝ち取ってくれたのが今の社会なんだと感じ、ちょっと感動しているところです。
アサーションが必要とされている場面
今現在、アサーションが特に活用されている場面が挙げられていました。
まだ日本では深く浸透していないように思いますが、アサーション発祥の地であるアメリカでは、日本よりも活発に行われていると書かれています。
日本でも、このようになっていくでしょう。(というかもうなりかけているのかも)
仕事
北米の職業訓練所(日本で言うハローワーク)では、就職者の支援の一つとしてアサーショントレーニングの機会が与えられるそうです。
萎縮して不当な仕事につかない・面接に失敗しないように、という理由のようです。
また、女性への差別撤廃運動の一つとして、女性向けのアサーショントレーニングを行う企業も多いと書いてありました。
他にも管理職の研修の一つとしてアサーショントレーニングを取り入れる企業も多いそうです。
教育
教師と生徒、親と子という関係では、暗黙の上下関係が生まれやすいです。
そのため、上に立っている側が過度に威圧的になって(アグレッシブ)、生徒や子供が自己主張できなくなったり(ノンアサーティブ)、逆に生徒側がそれに反発するために攻撃的になったりします。
個人的にはいじめ、学級崩壊、ドロップアウトなどの諸問題の背景の一つに、無意識の上下関係がありそうだな、と感じました。
教育の場でも、アサーティブは必要とされています。
医療
ストレスのかかる医療従事者を守るためにも、アサーションは注目されています。
医師、看護師、カウンセラーなど、待ったなしの人々への対応が必要とされる職種では、ともすると自己犠牲を伴ったり、自分の限界を超えて、他者を優先することもあるかもしれません。
こういった場面では「燃え尽き症候群」が起きがちだと本の中では指摘しており、アサーションが必要だと書いてあります。
基本的アサーション権
僕たちは、誰もが、アサーション権を持っていると言えるでしょう。
本の中に記載のあったアサーション権をまとめておきます。
- 私たちは、誰からも尊重され、大切にしてもらう権利がある
- 私たちは誰もが、他人の期待に応えるかどうかなど、自分の行動を決め、それを表現し、その結果について責任をもつ権利がある
- 私たちは誰もで過ちをし、それに責任を持つ権利がある
- 私たちには、支払いに見合ったものを得る権利がある
- 私たちには、自己主張をしない権利もある
特徴的なのは、全て「権利がある」と締め括られていることです。
アサーション権は、あくまでも権利であり、義務ではありません。
やっても良いし、やらなくても良い。
それを決める権利も、それに伴う結果を受け入れる責任も、あなたにありますよ、というのがアサーションです。
アサーションと自信
ここまで「アサーショントレーニング」を読んでみて、コミュニケーションにおいて最も重要なのは
- 「自分のことを主張する勇気」
- 「相手のことを考える思いやり」
- 「意見の相違があってもWIN-WINを目指すという忍耐力」
なのだと強く感じました。
ですが、勇気も思いやりも忍耐力も、それが正しいものだという確信が持てなければ行うことは難しいでしょう。
自分の判断に自信が持てないことが大きく影響して、アサーションをするか否かで迷っているということです。
本の中でも上記のように書いてありました。
第二章「人権としてのアサーション」では、アサーションという考え方の背景にある歴史を説明することで、
- 多くの人が、アサーティブを目指して、(暴力に訴えない)戦いをしてきたということ
- 多くの課題を解決するために、アサーティブが必要とされていること
- 社会レベルでアサーティブが認められるような変革が続いているということ
を説得力のある、やわらかい言葉で書いてくれています。
正直、僕なんぞが書いた文章よりよっぽど説得力があるはずなので、興味が湧いた方はぜひ「アサーショントレーニング」を手に取ってみてください。
今日書きたいのはこのくらい。
また書きますね。
コメント