こんばんは、かきぴーです。
ここ数日、なんだか無性に本が読みたくて、ずっと本を読んでいました。
それも、新しい本ではなく、これまで何度も手にとってきた本を読み返していました。
読み返していくうちに、いくつも繋がりが生まれ、その気づきが心地良かったので、少しだけシェアしようかと思います。

自戒を込めて書きます。
真剣になるとはどういうことか
今回得た気付きの中核にあるのは、次の2つの要素です。
- 生きるには努力が必要である
- 努力とは、目の前の出来事に真剣になることである
タイトルにもある通り、「目の前の出来事に真剣になる」ことには、非常に大きなメリットがあると考えています。
そのメリットについて書いていきたいんですが、その前に僕がいう「真剣になる」ということについて整理させてください。
「真剣になる」という状態は、対象物にもよると思いますが、以下の要素を含んでいると思います。
- 対象物を前にした時、それに対して集中している
- 対象物のことを、長時間頭の隅に置いている(忘れていない)
「対象物を前にした時」の状態は、マインドフルネスに近い状態をイメージしてもらえると、正しいかもしれません。
ソフトゾーンと呼ばれるような境地ですね。
そこまで行かずとも、対象物のことを長い時間考えており、それらに携わる時間を大切に過ごせていれば、真剣になっていると言えるのではないかなと思います。
例えば今の僕であれば、ダイエットに対しては真剣に取り組んでいると言えるでしょう。
1日のうち長い時間ダイエットのことを考えていますし、自分で決めたルールを守るために、様々な工夫を凝らしています。
一方で、いくつかのプロジェクトに関しては、真剣に取り組めていないように思います。
それらのプロジェクトに臨んでいるとき、少なからず雑念がありますし、ひどい時はマルチタスクで取り組んでいることもあります。
常にそれらのプロジェクトのことを考えているわけではなく、思い出したときに、不定期に取り組む程度です。
恥ずかしいですし、情けないですが、それらのプロジェクトに対して、不誠実である自分を認めざるを得ないです。
目の前に真剣になることで、起こること
思うに、人生のどれだけ多くの時間を、真剣に過ごせるかで、人生のクオリティは上がるのではないでしょうか。
「悟りを開いた」と言われる聖人は、ただ「生きる」ということそのものに真剣になれているのかもしれませんね。
目の前のことに真剣になると、どういうことが起こるのか、僕自身の体験と本で読んだ内容を混ぜこぜにして書いていきます。
気付きを得やすい
目の前の対象に真剣になると、そこから多くの気づきを得られます。
例えば、最近の僕の活動で言うと、プリズナートレーニングですね。
レッグレイズのステップ1では、ニータックという、椅子の端っこに腰掛けて、足を胸に引き寄せる動作をするのですが、このとき膝をしめて、おへその下あたりと鳩尾を近づけるようにすると、非常に腹筋に効くのがわかりました。
ステップ1の低強度の運動であっても、ゆっくり丁寧に集中して行うことで、筋肉や神経の些細な動きが感じられ、どうすればもっと効果が出るのか閃くことができた事例です。
上のは些細な例ですが、こういう気づきは、人生のあらゆる場面でありました。
いずれも、真剣に、心を向けて取り組んだときに起きた出来事ばかりです。
結果が出やすい
真剣になって得られた気づきは、物事をびっくりするくらい前進させることがあります。
僕個人としては、真剣になることで目的達成に必要な情報を普段より多く取得でき、結果的に鋭い解決策が生まれるのでは?と思っています。
なので、真剣になることで結果が出やすくなります。
信頼を得られる
真剣になると、周りからの信頼が生まれます。
信頼が得られる理由は2つ。
1つは、結果が出やすくなるから。
もう1つは、熱量が伝わるからです。
先述の通り、真剣になると、結果が出やすくなるという感覚があります。
結果を出す人は、ある種の専門性を持った人間として、周囲から信頼されるのはなんとなくイメージできると思います。
それだけでなく、真剣にやっている姿というのは、周囲の尊敬を集めるものだと、僕は考えています。
これらの理由から、真剣に取り組むことで、周囲からの視線が変わるでしょう。
情熱が生まれる
真剣になることで、対象物への情熱が生まれます。
まず、「気づきを得られる」体験自体が、個人的にはとても好きです。
すべての人がそうだ、とは言えませんが、「気づきを得る」体験に快楽を覚える人は少なくないのではないかなーっと個人的には思います。
また外部的な要因として、結果と周囲からの信頼が得られやすくなりますので、それも対象物への情熱が加速する要因となるでしょう。
自分の中で、複数の出来事が統合される
いまの僕が一番興味があるのがここなんですが、真剣になると、複数の出来事が統合される体験を得られることがあります。
「これ、〇〇(全く別のプロジェクト)にも応用できるな…」「本質的には、全部同じことだな…」みたいな感覚です。
以前、こういう感覚に満ちていた時期があったように思います。
真剣に取り組んだときに生まれる気づきが、1つ上のレイヤーで統合されていくイメージです。
この体験は、本当に楽しいです。
大きな快楽だと思います。
リラクゼーション
そして、真剣に取り組んだ後には、心地よい疲れと、深いリラックスが待っています。
筋肉をリラックスさせるには、一度力ませるのが有効な選択肢です。
全力で動き回った日はぐっすり眠ることができますし、実際に体を順番に力ませて、リラックスさせていく漸進的弛緩法というリラクゼーション方法があるほどです。
目の前のことに真剣になる、というのは、真の休息を得るために必要なことだと思います。
生きるためには努力が必要
ここ最近、分離感を感じていました。
複数の個人的なプロジェクトを動かしており、気が休まらない感じを感じていたんですね。
いずれも、個人的な事ばかりですし、見る人が見れば些細な事ばかりだと思いますし、こんな程度で疲弊する自分を情けなく思います。
ここ数日読書したくなっていたのも、ある種の逃避のような感覚だったのかもしれません。
ですが思い返してみると、いずれのプロジェクトも、自分が関与すると決めたものでした。
プロジェクト単体で見ると、バラバラになっているものですが、少なからず僕自身が必要だと考え、ピックアップしたものばかりです。
根っこでは「自分が選んだ」というカテゴリに属しているはずなんですよね。
この分離感の原因の一つが「真剣さの欠如」であり、解決策は「真剣さの回復」なのではないだろうか?と思っています。
真剣になるのには、少なからずエネルギーを使いますが、すべてのプロジェクトに真剣になることで、自分自身が統合された感覚を回復し、より前に進めるのではないか、と考えています。
というわけで、今日の記事はこのくらいです。
長い記事を、最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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