【読書メモ】習得への情熱②

読書

こんばんは、かきぴーです。

今日も習得への情熱について書いていこうと思います。

「数を忘れるための数」の先にあるもの

前回の記事で、原則を無意識に埋め込むためのアプローチである「数を忘れるための数」について書きました。

数(チェスでいう各駒の価値のような原理原則)を忘れるために、数をこなすべし、という話ですね。

数を忘れるための数に取り組み、無意識レベルで行えることができたとき、何が起きるのかをもう少し書きます。

チャンキング

チェスのトッププレイヤーは、盤面を一瞬見ただけで戦況を正確に把握し、盤面の暗記すらできてしまうそうです。

なぜそんなことができてしまうのか、というと、チェスの盤面をチャンク(塊)として見ているから。

素人がチェス盤を見て暗記しようとするとき、駒の一つ一つの場所を視覚的に暗記しようとするでしょう。

しかし、熟練のチェスプレイヤーは、とある駒の並びに対して、「〇〇の定石を勧めたときの形」とか「〇〇の戦型に似てる」とかみたいな感じで、盤面に意味付けをおこなっているわけです。

この意味付けこそは、チャンキング(塊にすること)と呼ばれるらしく、心理学の実験でも証明されている現象だとか。

その証拠に、ランダムに配置された盤面では、プロプレイヤーの暗記精度は素人並に落ち込むらしいです。

これが太極拳では、相手を一目見るだけで隙を見つけ出せたり、相手の僅かな挙動から次の動きを予測する能力になるわけですね。

このように、無意識レベルに落とし込まれた原理原則は、その人に、魔法のような直感を与えてくれます。

その直感は、決して魔法なんかじゃなくて、「数を忘れるための数」の訓練で獲得される能力です。

レベル変換や並列学習

数を忘れるための数をこなし、原理原則を無意識レベルに落とし込むと、別のことを学ぶときにもその原則を活かせるようになってきます。

ウェイツキン氏は、チェスを学んだときにとっていた学習プロセスを太極拳に生かしていましたし、チェスで学んだ心理戦の駆け引きを太極拳に持ち込んだり、太極拳で学んだメンタルコントロールをチェスで活用したりしていました。

日常生活でも、「〇〇と〇〇って似てるよなぁ」って思う瞬間ないですか?

僕だと、ダイエットと貯金、ダイエットと片付けには関連を感じています。

ダイエットであれば摂取カロリーと消費カロリーの比較が、貯金であれば支出と収入の比較が、片付けであれば収納能力と所持品の量の比較が、ほしい結果(痩せたい、貯めたい、片付けたい)に直結しています。

これが見えてくると、他のところで有用だったアイデアの転用がスムーズになります。

ダイエットで記録が重要だからこそ、家計簿をつける重要性がわかるし、断捨離しないと片付かないと実感したからこそ、たまには断食しようかなってなります。

少し卑近な例になりましたが、学びを抽象化し、物事の関連性に気づけば、学んだこと気づいたことを別のことに役立てることができます。

そして、学びの抽象化をするには、数を忘れるための数をこなし、原則を体になじませるのがとても有用です。

更に上のレベルに行くための方法

「数を忘れるための数」をこなし、原則を無意識にきざみこむだけでも、非常にレベルの高い学習ができますが、更に上を目指すにはそれだけでは足りません。

ここでは「負の投資」と、「より小さな円を描く」について書きます。

負の投資

「負の投資」とは、より高いレベルに至るために、負けることを受け入れるという意味です。

たとえば、ゴルフのタイガー・ウッズは、長らくトッププレイヤーでしたが、よりうまくなるために自身のスイングを解体し、イチから学びなおしていた時期が在ります。

その時期のタイガー・ウッズの成績は、それまでよりも大きく下がりました。

このように、ある型・ある原則で戦っていく中で、よりより形になるためには、今持っている型を手放す必要に迫られるときがあります。

負の投資をすることで、短期的には弱くなるのは間違いないです。

それでも、負の投資をやりきれば、長期的に見たときにより成長できる可能性が在ります。

「負の投資」は、トッププレイヤーに限った話ではありません。

例えば、筋肉ゴリゴリのマッチョが、合気道のような格闘技を習ったとします。

やったことないので想像ですが、合気道では自分の力ではなく、相手の力や勢いを利用して、相手を投げることを学ぶと思います。

もしここで、彼が自分のパワーへの執着を捨てられなかったら、どうなるでしょうか?

たぶん、投げられたくなくて、筋肉を使って無理やり投げると思います。

そうすると、弱い相手を投げ飛ばすことはできるかもしれませんが、合気道の本質的なものは学ぶことができないでしょう。

過去の成功体験を手放し、たとえ負けたとしても、目の前にあるものから素直な学びを得る姿勢こそが、成長に繋がる「負の投資」と言えます。

より小さな円を描く

「負の投資」が、型を手放したり、新しいことに取り組むときの姿勢だとしたら、「より小さな円を描く」は今ある方を極めるスタンスです。

なにかの原則を身に着けたとしても、それで極めたとは言えません。

その原則は、小さく圧縮することができます。

本書では、パンチの例を出していました。

最初の型では、足で地面を蹴り、腰を回し、腕に勢いをつけてパンチを出していたとします。

あなたは、その動きを何度も練習して、いつどんなときでも、満足なパンチを出せるようになりました。

「数を忘れるための数」ですね。

ここで「より小さな円を描く」を適用した場合、あなたは、より小さく地面を蹴り、より小さく腰を回し、ほとんど腕を動かさずにパンチを打つことを目指すことになります。

より小さな円を描くアプローチを突き詰めると、まるで魔法のような現象を起こせるとウェイツキン氏は書いていました。

太極拳では、触れただけでふっとばされるような体験をすることがあるらしいんですが、それらの動作を徹底的に観察すると、いくつかの原理をほとんど気づかないレベルで運用していることがわかるそうです。

チェスでも、とあるグランドマスターが、一見セオリーに反した手を好むらしいんですが、よくよく観察すると一番重要な「中央の支配」を誰にもバレずに行っているのが伺えるとのことでした。

ミクロを極めろ:広く浅くよりも、狭く深く

マクロよりもミクロ。

この本を貫く、大きなテーマだと思います。

この本の大きな柱の一つが、前回と今回で書いた「新たなことを学び、その学びを極めていく」話です。

もう一つ柱があるとすれば、それは「ソフトゾーン」の話。

それについてはまた後日書きますねー。

ではまたー。

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